別府国際観光会館前

●撮影された年月
昭和50年代。

●写真に写っている人や場所
100歳で亡くなった私の祖母。
別府国際観光会館前(現在のトキハ別府店)にて。
別府国際観光会館は昭和38年(1963)4月にオープンし、昭和60年(1985)に解体。

●写真にまつわるエピソードなど
日本舞踊をやっていた祖母は晩年まで背筋がよくて颯爽としていました。
国観地下の『味の名店街』が懐かしいです。
国観にはよく歌手が来てました。一番古い記憶では母に連れられていった『じゅんとねね』です。『ずうとるび』はお客さんが少なくて、昼の部が終わって帰ろうとしたら、係の方が「ただでいいから夜の部も見ていってー」と頼まれて頭数になった思い出が(笑)私は別商ブラスバンドのブラコンで三年間お世話になった思い出深いステージです。

●写真の投稿者や提供者の名前
板井佐奈枝

2 COMMENTS

博多新快速

はじめまして。
今はなき別府国際観光会館にとても興味を持っております。ネットを漁ってもなかなか資料がみつからないものでして。
客席のキャパはどのくらいだったのでしょうか?
客席は、2階席まであったのでしょうか?
下層階が商店やピアノ教室などで、上層階がホールだったそうですが、打楽器などはどのようにステージまで持っていっていたのでしょうか?
まさか、4階ぐらいまで階段を登って持って上がっていったのでしょうか? 
お客さんがホール階にたどり着くためには、階段しかなかったのかも気になります。

さらに、大分県の吹奏楽コンクールは一時期ここを使っていたそうですが、チューニング室に充てられる部屋はあったのでしょうか?

さらにさらに、別府国際観光会館と同時期に建った福岡市民会館は令和の世の今でもいまだ健在ですが、別府国際観光会館が竣工後わずか20数年で解体の憂き目に遭ってしまった理由を、もしご存知なら教えてください。

本来なら、平成後期まで現役で使えていたホールだと思いますので…。

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