Memory and Message

ヤングセンターの思い出
応援メッセージ

沢山の方に愛されてきた大衆演劇場ヤングセンター。ファンの方々の思い出や今回のプロジェクトに縁のある方々に応援メッセージを頂きました。是非、皆様も一緒にヤングセンターを熱く語ってください。※掲載はメッセージを頂いた順になっております。


元ヤングセンターの若
寺本博文さん

私が生まれる前からヤングでしたのでヤングの子として育ちました(笑)お客様からは最後(47歳)まで"ヤングの若”と呼んで頂いてました。舞台には花道がございますが、出べそ(通称)があったのは大衆演劇ではヤングだけだったようです。(きっとこの先も)

この度、東京神父さんのステンドグラス補完計画を通して改めまして皆さまがヤングを応援して頂き、なにより愛して頂けましたことを再確認出来きました!感謝の想いでいっぱいです。これから先もステンドグラス=ヤングが鉄輪の「ひろみや」さん始め、沢山の場所で生きつづけることがとっても幸せです。

コトリカフェ店主
八木みちるさん

旅行で訪れたとき、立ち登る湯けむりの風景の中で一際目を引く『ヤング』の文字が気になって気になって。絶対にいつか行ってみたいと思い、友達に連れていってもらって初めて足を踏み入れたときは衝撃で、こんな世界があったんだ!と一瞬でトリコになりました。

好きな劇団が来る時は月に何度も足を運び、たくさんの友達と目をハートにしながら共有した時間は宝物です。嫌なことがあったときも、忙しいときも、ヤングセンターに居る3時間は全てのことから解放される癒しの空間と時間でした。もちろん温泉も素晴らしくて、鉄輪の真ん中で広い湯船にドバドバ掛け流されている良質の温泉に浸かるだけでパワーチャージできました。

私にとってはなくてはならない場所だったので、閉館と聞いたときは悲しかったけど、悲しさ以上に心の奥から沸いてくる、寂しさと感謝が入り混じったような何とも言えない気持ちで胸がいっぱいになります。建物はなくなってしまったけれど、私の宝物のような思い出のカケラを残してくれたこのプロジェクトに感謝すると共に、陰ながら成功を祈っています。

食堂
勝太郎さん

鉄輪の活気がなくなり、非常にさみしいです。ヤングセンターのおかげでたくさんの人との思い出ができました。 ステンドグラスもチャンスがあれば見たいと思います。

元役者
澤村恵里さん

私の人生のすべてです。いまだにヤングの話がでない日はありません。母も亡くなった妹もファンです。あって当たり前の場所だったのに、それがなくなって心のよりどころがなくなりました。
ヤングセンターで繋がった人たちとは今もご縁が続いています。ステンドグラスは見たことがなかったので、とても楽しみです。改めて友達と訪れてヤングセンターの思い出を話してみたいです。

飲食店店員
加藤千恵美さん

幼少期、叔父がヤングセンターのすぐ裏で理髪店を営んでいて私もしょっちゅう遊びに行ってました。お店の前で遊んで居ると大衆演劇の役者さんが通りかかってはお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれたり‥。大衆演劇の役者さんには小さい頃からお世話になっていました。

大人になって今度は客としてヤングセンターに行くようになりましたが、最初はお付き合いで行くだけ‥という形でした。でもどんどん大衆演劇の魅力にハマって 最後は時間を作っては自ら進んで観に行くように。ヤングが無くなると聞いた時は、本当にショックでした‥。役者さんの送り出しで キャーキャー言いながら写真を撮ったりしたのは今も大切な思い出です。

物心ついた頃からあって当たり前だったヤングセンター。無くなると聞いた時は本当に悲しかったですが、このような素敵な企画を計画して下さった事に感謝の気持ちでいっぱいです!別府にはヤングあり!『来て見て!夜見て!帰り見て!』のキャッチコピーもどこかに潜ませて頂けたら嬉しいな‥と密かに期待してます(笑)

東京神父の祖母
福田サヨさん

旦那の兄が昔ヤングセンターの向かいで旅館をやっていて、そこで結婚式を挙げました。ヤングセンターには婦人会で一度だけ行ったことがあります。
今年で102歳になりましたが、昔は鉄輪に行くといつもヤングセンターの前に浴衣姿の人や観光客が沢山いたことを思い出します。孫が残したステンドグラスを生で見てみたいです。

占い師
ジェミニさん

父親がヤングセンターの、お風呂場のタイル張りをしてました。私はヤングセンターの娘さんと同じ学校で不思議なご縁で、繋がってましたね。
無くなってしまったのはさみしいですが、今でもあの看板があった辺りを通ると別府に来たなぁと思い出されますね。可愛い丸文字のヤングセンターの看板素敵でした。

インストラクター
郁恵さん

インスタグラムでこの企画を知りました。広島在住の母がヤングセンターのファンで、必ず月に何度か別府に遠征に行っていました。ヤングセンターが無くなった時は人生の楽しみが一つ減ったと落ち込んでいました。
演劇を観覧することもそうですが別府の街並みや人、温泉に入るのが好きだったみたいです。ステンドグラスが設置されたら母を誘って、別府に遊びに行こうと思います。

イラストレーター
トビイルツさん

ヤングセンターのすぐ側にある湯治宿「ひろみや」さんの一角に仕事場を構えてから、ヤングセンターが身近になりました。ひろみやには、神父さんが運んできた13枚のステンドグラスのうちの1枚が、扉として設置してあります。私にとってヤングセンターは楽しい鉄輪の象徴です。

無数の湯けむりの中に浮かぶヤングの看板の赤い文字は、大好きな鉄輪の風景の大切な一部でした。ヤングセンターの閉館後、その文字を残すことと、ひろみやのステンドグラスの設置費用を募る目的を兼ねて、一足先にヤングTシャツプロジェクトを立ち上げ、神父さんとお仲間の方々にご協力いただきました。70年近く鉄輪の名所として存在したヤングセンターの記憶を残したい思いは神父さんと同じです。

13枚のステンドグラスが、今度はそれぞれの場所の歴史の一部となって輝き続けられるように、神父さんの活動を応援したいと思います。フォーエバー、ヤング!

以下、実行委員より

写真家 実行委員長
東京神父

今はなきヤングセンターの温泉には男湯に9枚、女湯に4枚、計13枚のステンドグラスがありました。僕は別府八湯温泉道の名人にもなっているのですが、そのスタンプを押すためにヤングセンターの温泉に初めて入ったのが、2018年2月のことです。それまでは正月に実家に帰るくらいで、近所の温泉以外は入ったことがなかったですし、別府を観光したこともありませんでした。
初めてヤングセンターの温泉に浸かり、ステンドグラスから差し込む朝日が温泉に色を落とし、キラキラと揺れている様子を見た時「自分が生まれ育った街にこんなに素敵な温泉があったのか!」と感動したことを覚えています。

ヤングセンターのステンドグラスがきっかけで別府への愛が芽生え、そこから温泉巡りを本格的に始め、沢山の人に出逢い、この街がいかに面白い街なのかを知って行くことになります。この体験がきっかけで、僕のライフワークである「別府温泉ルートハチハチ」という作品の撮影も始まります。僕にとっては、別府での活動の原点と言っても過言ではありません。

ヤングセンターの魂でもあり、別府の文化財でもあるステンドグラスがこれから大分県の様々な場所に設置されることに今からワクワクしています。この補完計画を通して、多くの人に別府や大分の魅力を伝えていきたいと思っています。

フリーランスエンジニア
たけもっと

神父さんと出会った頃に補完計画の話を聞き、何世代もの別府人たちの心を繋げることが出来るプロジェクトを応援したい気持ちになりました。ヤングセンターと皆さんの思いに触れたいです。是非、想いを一緒に繋ぎましょう!!

ヤングセンターファン
湯屋亜津子

2020年3月中旬。ヤングセンターが最後の月に、私は初めてヤングセンターを訪れました。それまでにも何度か誘われた事はあるものの…当時の私は、ヤングセンターって、“自分達の親世代が娯楽を求めて行く所”…とのイメージが強く、足を踏み入れた事はありませんでした。
でも…去年ヤングが閉館するという事で人生初のヤングセンター、大衆演劇の世界に足を踏み入れました。初めて観る役者さんは、どの方も、とてもキラキラ輝いていて、凄く感動し、一瞬で役者さん達の世界に引き込まれ、拍手するのを忘れてしまった位、見とれてしまったのを昨日の事の様に思い出します。

それからというもの、残りの半月間は暇を見つけては、ヤングに通いつめました。私にとってヤングは、大好きな人と出逢えた大切な場所…そして大好きな人に出逢えた事で、自分に自信が持てる様になり、色んな事に積極的にチャレンジ出来る様になりました。

そんな私にとって大切な場所がなくなってしまったのは、凄く寂しいけれど、私の心の中には、素敵な想い出が沢山残っています。今回このプロジェクトを通して、様々な場所にステンドグラスが設置され、巡礼出来る様になる事で、ファンのみならず、役者さん達とも想い出をシェア出来る事…とても幸せに思います。そしてこのプロジェクトに関わって下さっている全ての方達に感謝しています。私もこれからもずっと微力ながら、応援しています。

作業療法士
大倉豊秀

正直、ヤングセンターという名前の演芸場があったことしか知りませんが、素晴らしい演芸場だったという話は、知人より何度か聞いていました。
ここ一年程、コロナ禍で自分を見つめ直す機会が多く、地元での経験がある町おこし的なボランティアをしたい!そして、どうせやるならカッコいいボランティアをやろう!と決心しました。
別府には、湯〜園地など、洗練されたプロモーション活動やイベントが多いイメージがあったので、「別府でボランティアを出来たらいいな」とぼんやり考えていました。
そんな時にFacebookで、ヤングセンター補完計画のボランティア募集を見つけ、すぐに申し込みました。正直、何をするのか全く分からなかったし、ヤングセンターにもほとんど思い入れはありません。しかし、東京神父さんにご縁を感じ、この度は、ボランティアを超えて、実行委員会の一員として頑張ることになりました。やるからには、関わる方皆さんにとってもプラスになるように、楽しみながら真剣に取り組みたいと思います。頑張ります。


ルカ

僕が初めて別府を訪れ、みはらし坂から鉄輪をみて1番印象的だったのが「ヤング」の赤い看板でした。鉄輪のどこからみても見えるその看板は鉄輪温泉の象徴ともいえる存在で僕はGoogleで地図を見るかわりにヤングの看板を目印に鉄輪温泉を巡っていたのを覚えています。

そんな僕の思い出のひとつ、ヤングがなくなることを知ったのは東京神父さんがきっかけでした。ヤングには13枚の美しいステンドグラスのようなものがあること。神父さんがヤングセンターのお風呂に入った際、朝日と色が生み出す色とりどりな温泉に感動したこと。聞いてるだけなのに想像して入浴してみたくなりました。でも今となっては見ることも入ることもできません。

僕にできることって何かあるかな、そう考えるようになり、今はヤングセンターステンドグラス補完計画の映像担当として頑張っていきたいと思っております!「今までの当たり前が無くなって消える」それは寂しい、悲しい、美しい、愛しい、だから少しでも多くの方の耳に届いて昔話をしてヤングに命を灯してみてはどうですか?13枚が新しく思い出を紡ぐことを祈ってます。よろしくお願いします。補完計画に関わるすべての人に祝福を。

保育士
紀敦子

別府には、昔ながらの建物、風景が多く、昭和にタイムスリップしたかのような気持ちになることがしばしばあります。ヤングセンターもその一つでした。
歴史のある建物や街並みは、そこに残る思い出や、そこを思う人達の気持ちも乗っかることで、特別な場所になっているのだと思います。ヤングセンターのステンドグラス補完計画を知る中で、そんな風に思うようになりました。そして、そんな場所は他にも、日本全国たくさんあるのではないでしょうか。建物の老朽化や、維持することが難しいため、惜しまれながら取り壊されている建物や街並みが。

昭和から、平成、令和へと時代が移り変わる中、人々の思いが詰まったものに、新たな意味を持たせ、生まれ変わらせることで、新たな役目を持たせる。ヤングセンターのステンドグラス補完計画がしようとしていることは、日本全国様々な場所で求められていることかもしれない。このプロジェクトに関わることで、そんな風に思うようになりました。

このプロジェクトに関わってまだ少しですが、すでにたくさんの新たな出会いがありました!心が動く体験をたくさんの方と一緒にできたらいいな、と思います。

大学生
伊東鈴乃

私が初めて別府を訪れた去年、既にヤングセンターは閉館してしまっていました。今はなきヤングセンターとヤングセンターを愛する人の気持ちを受け取って、素敵な方達と一緒に実行委員として盛り上げていけるように頑張っていきます。

大学生
三上葵

別府にきて3年目を迎え、これまでに別府の素敵な場所をたくさん教えてもらいましたが、ヤングセンターや大衆演劇がどんなものか全く知りませんでした。
色んな方にお話を聞いているうちに、ヤングセンターが長い歴史を経てたくさんの人に愛されてきたことを知り、私も何か出来ることをしたいと思い、今回参加しました。今はもうヤングセンターではステンドグラスを見ることができませんが、この補完計画を通して、また新たな場所で輝いてほしいなと思います。

ベーシスト、音楽家
東海林拓実

自分が初めて館内に入ったのは解体中でしたが、いまにも沢山の人の声や演者さんの姿が見えてきそうなくらいのパワーを感じました。
神父さんがまた何か面白そうな記事をアップしてるな〜と思い、何気なく読んだそこにはとても綺麗なステンドグラスが写っていて、これをなんとか保存したいという想いが生まれました。ステンドグラスの綺麗さと長い間、地域の人達に愛されてきたヤングセンターの何かを残したいという気持ちにかられ、気づいたらディスクグラインダーを持って現地へ行っていました(笑)
心を込めて切り出したので、多くの皆さんに見てもらえるようこの気持ちが伝わるよう願っています。